ペテロの回復

ヨハネ21:15-18

3回にわたってイエスさまが「私を愛するか?」と聞かれる。その後「私の羊を飼いなさい。」と言われた。
聖書から分かる通りペテロは大きな失敗をし、心に傷を受けた。しかしその失敗を乗り越えて大きく用いられる人になった。聖書的方法で乗り越えなければならない。

①ペテロの失敗について
ペテロは誰もが認めるイエスさまの一番弟子。素晴らしい信仰の言葉でイエスさまを驚かせたこともある。イエスさまが愛されたので、どこに行くにも連れて行かれた。水の上を歩く奇跡も体験した。「これは私の愛する子だ。あなた方はイエスの言うことを聞きなさい。」という神の言葉を聞いた。一番義理がたい人であるペテロが失敗した。
ヨハネ18:25~27で、イエスさまを否定し呪う大きな失敗をし、死ぬほど苦しく自分を責めた。罪責感で苦しかった。

②全ての人には心の傷がある。
傷を忘れて生活する人がいる。人には10%の意識と90%の無意識がある。傷から苦い水がでてくる。癒されないと幸せになることができない。人は傷を隠しておきたい。傷がいやされないと神様に用いられることができない。砂の上に建てた家のように一瞬で壊されてしまう。誰でも傷がある。

牧師は劣等感の塊だった。それからいつも苦い水がでていた。いつも自分を責めていた。

親からの傷、離婚、暴力、夫婦喧嘩、教師、マスメデイア、教会、指導者たちからの傷。

傷があると悲しみ、自己憐憫、劣等感、競争心、怒り、憂鬱感、詭弁、敵対心、罪責感、固執、
コントロール、過ちを認めない、人と比較する、などいろいろ出てくる。傷がありすぎると問題である。

傷に悪霊が働くと自殺したり、殺人したり、人のせいにしたり、快楽におぼれたりする。
スポーツやギャンブルに溺れるのも傷を隠すためかもしれない。牧師の中にもいる。

③ペテロはどうやって回復したか。
ヨハネ21:6~7
ペテロははじめ魚が捕れないときイエスさまに出会ったが、同じ状況をイエスさまが演出される。

思い出したくないことをあえて思い出さなければならない。私たちは潜在意識に隠しているが、主の前に持ってくる聖徒にならなければならない。人は癒せないが神様が癒してくださる。苦しくても告白する。思い出したくないこともイエスさまに訴える。イエスさまが触れて下さる時癒される。まことの悔い改めがなされなければならない。ホセア6:1~2

④愛と従順
ヨハネ21:17
イエスさまは「ペテロ」と呼ばないで、「ヨハネの子、シモン」と呼ばれた。ペテロは神様の愛を体験して変わった。人は人に愛を求めるが、大いなる神の愛を体験すると人には頼らない。人がいやされた時神様が用いられる。





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