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初代教会の奇跡

使徒行伝3:1~10 初代教会に初めて起きた奇跡について書いてある個所である。 ①3:1 聖霊の体験、感動を祈りによって維持していた。神様からの恵みを祈りを通して守るのである。当時、一日3回宮に登って祈った。本当に恵みが訪れるとイエス様しか頭になくなる。いつもイエスさまに恋愛して祈る人に神様は奇跡を用意して下さる。約束を守る人を神様は使われる。 ②3:2,3 神の御手、導き、語って下さることを悟る人になる。心がかたくなになって悟れない人がたくさんいる。はじめ「足のなえた人」の関心はお金であった。人々は生きている間はいい生活をしようとするが、死んだ後のことは自分ではどうすることもできない。自分の中に救いはない。 ③3:4~6 ペテロはいつくしみを持った、魂に対する愛の目でその人を見た。初代教会には金銀はないが、イエスキリストの御名があった。中世以降の教会は金銀はあるが、イエスさまの御名がないと言われる。イエスキリストの御名の力を回復しなければならない。自分の中に救いはない。御名の中に救いがある。 ④3:7,8 御名を持って勝利する人になる。過去の過ちも関係ない。人の前で言える人になる。 3:9,10 人が恵みを頂いて変わると、他の人に影響を与える。ソドムとゴモラには10人の義人がいなくて滅んだが、恵みをいただいて人に影響を与える人になりたい。 

聖霊様が説教する

使徒行伝2:14~21 当時、120名の弟子が祈りながらイエスさまの約束を待っていた。そして5旬節の日に聖霊が来られた。 2:1~4 響き渡る音を聞いた。→炎が分かれた舌のように人の上にとどまるのを見た。→人々は聖霊充満になって他国の言葉で話した。→大騒ぎになった。人々は喜び、涙し、歓声をあげた。 聖霊充満はまず自分が分かり、他人が分かり、やがてエルサレム全体が大騒ぎになった。 バベルの塔の事件以来、各国の言葉は異なるものになっていたが、それを回復させる事件だった。 2:14 説教は共同体で語ること。神の言葉を代弁して宣言するのが説教である。人々は神の言葉を聞いていないから変わらないのだ。御言葉を聞かないと人は変われない。賛美も代表の祈りも説教もすべて聖霊によってなされなければならない。そしてしるしと奇跡が伴うようになる。 2:15 朝の9時から酔っているのではないとペテロが言う。 2:16,17 聖霊によってペテロが語るメッセージの内容は? ①聖霊の働きに対するメッセージ ヨエル書より、終わりの日に聖霊がやってきて働かれる。私たちは終わりの時代に住んでいる。全ての人に聖霊がやってくる。息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。2:18奴隷にもしもべにも聖霊を注がれ、彼らは預言を語る。 牧師はいくら頑張っても変わらない時期があり、将来の不安があり、やる気が起こらない時があったが、祈った時、聖霊により目が開かれ、全世界は神様のものであり、自分が宣言するとそれは実現するという確信をいただいた。爆発的な恵みをいただいた。 2:19,20 聖霊が教会の主人になり、私たちは従う。自我に死に聖霊が完全に支配して下さるように決める。 ②イエスキリストに対するメッセージ 2:22 聖霊によってイエスキリストの福音を語る。イエスキリストの生き方、救い、福音を語る。私たちも満たされるとイエスキリストを語るようになる。癒しも奇跡も起こると考え、人間の考えでイエスさまの働きを制限してはいけない。 2:23 イエスキリストの死を語る。私の罪のためにイエスさまが死んで下さったことがわかる。十字架が分かるのも聖霊様のみわざである。遠い昔の事件ではない。知識ではなく、人生で体験すること。 2:24 イエスさまは死から蘇った。他の宗教の創始者は皆蘇ること