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アンテオケ教会

使徒行伝13:1~3 作物が育つには太陽と水が必要であるが、ここのところ雨が降らず大変だった。多量の水が必要であるが、聖書の中で聖霊は火と水にたとえられる。聖霊の力なしに悟るということは不可能である。イエスキリストを信じた時、聖霊様が皆の中に来られる。 使徒行伝1~12章ではエルサレム教会が中心的な役割を果たすが、13~28章ではアンテオケ教会がその役割を果たしている。今シリヤに内戦がおこっているが、そのシリヤに建てられたアンテオケ教会に福音が伝えられ、世界に伝わった。私たちには福音を伝える義務がある。異邦人の中に建てられたアンテオケ教会が大きな役割を果たしているのだが、その中にどういう事が見られただろうか? ①13:1 各種の壁を乗り越えた教会であった。 中心人物5人が出ている。バルナバは財産をたくさん持っていた人で、恵みを受けて多く捧げた。マナエンはヘロデ王の乳兄弟で高い地位にあった。ニゲロ(二グロ、シメオン)は黒人であった。ルキオも北アフリ出身の黒人である。そしてパウロであった。 人種、地位、経済格差などあらゆる壁を乗り越えた教会だった。全ての人を受け入れる包容力のある教会。私たちの教会も理解し変えていく教会になろう。 調和と協力は聖霊に満たされて出てくる。聖霊に満たされていない時は相手の弱点が見えるが、満たされると全てがよく見える。人を変えるのは愛しかない。 ②13:2 聖霊の働く教会であった。 聖霊の恵みを受け、主に仕えて礼拝した。断食して礼拝すると、聖霊様が働いて下さる。最善を尽くして主に仕える。聖霊様が主人で、聖霊様の語られることをわかり、従わなければならない。多数決ではなく、聖霊様の声に従うのが教会である。聖霊様が自由に働かれる環境作りは断食と祈りによる。アンテオケから世界宣教が始まるが、それはすべて聖霊様がされた。 牧師はうつ状態にあったかもしれないが、完全に回復して下さった。祈れば誰にも愛を施して、神様の時に祈りに答えてくださる。 ゼカリヤ4:6、1コリント12:3、ヨハネ16:13 問題を祈らないで答えを祈ろう。この世で一番大切なことはイエスさまを信じて救われ天国に行くこと。 ③13:1 分け与える愛のある教会 アンテオケ教会は分け与える教会だった。バルナバとパウロという一番大切な2人を宣教のために外に遣わし

キリスト者

使徒行伝11:19~26 11:6 この時初めてキリスト者(クリスチャン)と呼ばれるようになり、聖書に出てくる。場所はアンテオケであり、エルサレム教会につぎ2番目に建てられた。エルサレム教会が、バルナバをアンテオケに派遣し、1年間教えた。異邦人の中に建てられたが、愛にあふれて、素晴らしい御言葉の共同体、イエスさまを愛する人の集まる教会だった。素晴らしい人たちを見て、人々は「キリスト者」と呼んだ。 キリスト者(クリスチャン)とはどういう人か? ①11:19 ステパノのように、イエスキリストのゆえに迫害を喜んで受け入れる人である。当時クリスチャンはとらえられ牢に入れられた。聖徒たちは迫害の中でかえって感謝した。マタイ5:10~12 迫害の時喜んで下さい。神様は大きな報いを与えて下さる。 迫害されると聖徒が方々に散らされ、行った所で教会を建てた。患難がかえって益となった。 ローマ8:28、詩篇119:79 ②11:20~21 イエスキリストを伝える人である。真の食べ物はイエスキリストを伝えること。それに答えれば、素晴らしい力が臨まれる。福音を必要としている人がたくさんいる。 バルナバはアンテオケ教会で「イエスさまにとどまっていなさい。」と言った。 ③11:22~23 イエスさまの姿に似た者である。イエスさまの香りが漂う人になる。 バルナバは良心に満ち、立派な人であった。聖霊と信仰に満ちた人であった。人格的にも成長した人になる。 自分の外側の殻が壊されないと内側の聖霊様が出てこない。聖霊の声を聞く聖徒になる。「酒でなく聖霊で満たされなさい。」「聖霊の火を与えて下さい。」と祈る。キリストの霊によって導かれる人になる。ガラテヤ2:20、ローマ8:13,14 自分の力ではできないが聖霊によってできる。聖霊の恵みをいただく。今聖霊の働きが教会の中で大きくなっている。聖霊の働きに参加する人になる。

サマリヤの女(2)

ヨハネ4:27~38 悲しく苦しい人生を送っていた女性にイエスさまはやさしく近づく。女性はイエスさまの言われることに関心を持つが、私たちも霊的なものに関心を持つ聖徒にならなければならない。女性の目が開き、霊と真(聖霊と御言葉)の礼拝者となる。 ①女性の大きな変化 4:27 弟子は、イエスさまが異邦人の女性と話している事を不思議に思う。当時ラビは公の場で女性と話すことはなっかったからだ。 4:28、29 女性は水を汲みに行ったのに水がめを置いて町に行った。彼女の初めの目的が変わっている。人ははじめ問題や苦しみを持って教会に来るが、恵みを受けると人生の目的が変わって福音を伝える伝道者に変わる。私たちの目的も変わらなければならない。肉に属するのでなく霊的に変わってくる。 自分をいじめた人々の所へ行って福音を伝える女性。素晴らしい変化である。女性は「イエス・キリストはメシヤである。」というメッセージを確かに持っていた。 4:30 女性の話を聞いて、人々がイエスさまのところに来た。今までは無視していたのだが。 4:39~42 人は女性の言葉によらず、イエスさまの話を聞いて救い主であることがわかった。人を教会に導くとイエスさまが働いて下さる。 ②まことの食物 4:31~33 「私には本当の食物がある。」と言われるイエスさまと、この世を考えている弟子の話がかみ合わない。この世に属する人は肉に関する事ばかり話題にするが、霊的に目が開かれる体験をしなければならない。 ローマ8:6、ヨハネ6:63 4:34 まことの食物は天の父のみこころ(魂の救い)を行うこと。そのみわざを成し遂げること。イエスキリストを伝える。主のために働く伝道者になる。腐らない永遠の食べ物のために働く。 ③イエスさまのビジョン 4:35 普通の人よりも、遠く高い所を見ること。イエスさまのビジョンに参加する聖徒になる。麦刈では雨が降ると収穫できない。色づいたらすぐ収穫しなければならないという「時」がある。熱心に伝道してイエスキリストの恵みに加わる。 4:36~39 ひとりの魂のために最善を尽くす聖徒になる。人々が伝えて牧師が刈り入れる。収穫する緊急性がある。腐るものでなく永遠の命の為に働く人になる。