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学び会

一ヶ月に一回ある、毎月4周目の金曜日午前10時、学び会が今日ありました。 内容は山上の垂訓です。 今日は、私たちは世の塩と光である事を学びました。 参加なさった方々に感謝します。

人間をとるようになる。

ルカ 5:1~11 ①大勢の人が迫ってきたので、イエス様は舟に乗って教えられた。借りた舟がペテロのものであったのも、ペテロを弟子にするためになされた計画であり、神様の素晴らしい摂理による。エペソ1:4.5にあるように、私たちひとりひとりも恵みにより、神様から選ばれた者である。イエス様との関係がますます深くなるのが信仰生活であり、そのためには求めなければならない。 ②ペテロがイエス様のお言葉にすぐさま従ったように、自分の考えがみ言葉と違っていても、単純に信じて、自ら選んで、み言葉に従う生活をする。 ③ペテロのように、自分の弱さを認め、罪深さを告白することを、自らやる。神様にだけより頼むようになる。自分に対する神様のご計画を知って、それに従って歩むようになる。弟子たちは、全てを捨てて、イエス様に従った。決断をする人を神様は満たしてくださる。第2テモテ4:7.8

イエス様の試み

マタイ4:1~11 3種類の試みがある。 ①肉体的・物質的試み  悪魔・サタンはいつも疑いをもたらす。クリスチャンは物に心を奪われる。イエス様を信じて祝福されることのみ求める、祝福信仰に陥りがち。いい暮らしのために生きるのでなく、み言葉によって生きる。価値観は、お金がなくても自由、あったとしても縛られないというように変えられる。 ②精神的・名誉的試み  人に認められたい、脚光を浴びたい、栄光を受けたいという欲はすざまじい。人は神から離れて、自分が栄光を受けようとすると、神の声は聞こえない。神様に求めていくうちに、神様が整理してくださって、自分の欲を捨てるようになる。そうすると、神様が答えて下さり、神の栄光のために生きるようになる。 ③究極的に何に仕えるかという試み  この世と神様の二つに仕えることはできない。中間というのはない。ダニエルと3人の友は、権力の前に屈しなかった。 悪魔サタンはいろいろ私たちを試みるが、み言葉の中で生きなければならない。

あなたのものにならないのは

ヤコブ4:1~10 欲望はこの世から来る。ビジョンは神から来る。どこから欲が湧いてくるのかよく吟味しなければならない。この世からの欲は破滅を呼ぶ。私たちは神様に愛されている存在であるので、全ては快楽のためではなく、御国のために求めなければならない。動機、姿勢をよく吟味する。謙遜になること、神に従う、悪魔に立ち向かう。神様だけを求め続けると、恵みの世界に入れる。 他人が悪口を言っても、それが全然気にならないのが、本当の自尊心であり、アイデンティティである。本来のアイデンティティは神から来る。他人と比べることではなく、神様との関係の中に本当のアイデンティティがある。

良い牧者

ヨハネ10:1-6 ・「私は羊の門である」とイエス様は言われた。羊飼いは、実際に羊が出入りする門の役割をした。イエス様が私たちの救いの門である。 ・イエス様は「わたしは良い牧者です」と言われた。良い牧者は羊のために命を捨てる。イエス様は命まで下さったのだから、求めると何でも下さるはずです。 ・羊は羊飼いの声を聞き分ける、良い牧者はすべての羊をよく知っている。天の父とイエス様の関係は、羊飼いであるイエス様と羊である私たちの関係と同じである。天の父なる神様との親密さが一番の恵みである。天のお父様は私たちのすべてを知っておられる。信仰生活は単純で、牧者の声を聞いて従えばよいだけ。 ・命を神様に捧げる、自分を捨てる決断をすると、豊かな恵みを与えてくださる。

新しいぶどう酒は新しい皮袋に

マタイ9:14〜17 自分が新しい皮袋にならなければならないのに、ずっと古い昔の自分のままでイエス様の真理を入れようとすると、ダメになってしまう。古いままというのは、部分的に適当に従順する人のこと。新しい皮袋になるためには、ヨハネ3:5でイエス様が答えておられるように、水と御霊によって変わらなければならない。「何でも語って下さい。従順します」とという人は、新しい皮袋になった人であり、計り知れない喜びと 感謝が溢れる。

安息する信仰

へブル4:1-13 安息する信仰とは、完全に主に信頼して、委ねて、平安と喜びを得る信仰である。イスラエルの民が安息の地に入れなかった理由は、信じなかったということと、み言葉に従順しなかったことである。