イエスさまの信仰と祈り

ヨハネ11:38~44 

 ①信仰のある人になる    
イエス様は墓の前で憤りを覚えられた。イエス様が怒られる場面は他にあまりない。宮をきよめられるときに怒られたが、どんなことがあっても譲れないところがイエス様にはある。なぜこれほど怒られたか?それは32、37節からわかるが、ラザロが蘇ると言われたのに人々が信じなかったからだ。信仰がない時イエス様は怒られる。決定的な瞬間に信仰をあきらめることが多いが信仰がない人にならないである人にならなければならない。死んで4日も経つから生き返るのは不可能だと人間の知識や環境で判断したりせずどんなに不可能なことに思えても主に信頼する者になる。信仰によって勝利する者になろう。 ヘブル11:6、ヨハネ11:39、40

 ②どういう信仰か? 
 41節:父よわたしの願いをきいて下さったことを感謝します。  イエス様は祈ったことが100%かなえられることを信じておられた。私たちは疑いを持って祈ってはいけない。
 
 42節:いつもわたしの願いをきいて下さることを知っておりました。  こういう神様との関係の人にならなければならない。マルコ11:24、ヘブル11:1 祈ればすぐ受け取ったと信じる。
 
 なぜ答えて下さるか?イエス様が十字架の上ですべて成し遂げてくださったから。私達は神の子供だから。エペソ1:17~19にあるように神が私たちのために用意して下さったものがいかに素晴らしいものであるかを見ることができるように。

 ③イエス様はどの様に信仰を表現されるか? 
 ヨハネ11:43,44 マルコ11:23 信じるところを口で宣言する人になる。癒された、勝利した、問題が解決した、、、、ベニ―ヒンは口を通して宣言すると神様が働いて下さると言った。霊の世界ではもう成っている。従順するとき油注ぎが来る。

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