良い種と御言葉

マタイ13:24~30


①地上の教会には良い種と毒麦がある。

24~27節、37~39節で解説されているが、良い種をまく者は人の子で、畑は世界。教会の中にサタンが自分の子を植えておいたので、その子も共存していると言える。12弟子の中にイスカリヨテ・ユダがいたことからもわかるように教会は、非の打ち所のない、完璧なところではない。完全でないから謙遜になることしかできない。それは歴史を通して知ることができる。

②いつ毒麦をまいたか?

25節からわかるが、人が眠っている時である。つまり霊的に眠っていた時である。賛美の中で聖霊が働かないときである。いつも目をさましている聖徒でなければならない。
(1ペテロ5:8、詩篇16:8、詩篇105:4より)主とその御力を尋ね求めよ。
牧師は聖霊様に満たされると賛美が流れ、眠っている時も賛美が流れる日々を体験している。

41節より、悪魔サタンは人をつまずかせたり、不法を行うので追い出さなければならない。
(マタイ18:6)私たちを通してつまずく人がないようにする。
(1コリント8:13)イエスさまを信じる人の模範となり、聖霊様の語られることを聞く。罪から遠ざからなければならない。偶像に捧げた肉を食べて人をつまずかせるなら自分は肉を一生食べないとパウロは言った。

毒麦は良い種にはならない。一旦毒麦になるとサタンの子であるから永遠に毒麦である。本当の悔い改めをしないでまねをしていてはいけない。イエスキリストの中で罪のない聖い生活をする。
最悪は毒麦が牧師になった場合だ。そうなると牧師の下の人々は皆毒麦になってしまう。
同じように育てても麦の中に黒穂があり中身がないときがあり、実がない。

③どうすればよいのか?

28、29節より、教会の中の毒麦も最後の裁きの日までそのままおいておかれるので、土壌を変えて毒麦が来ても育たない土壌にしなければならない。

イエスキリストの真の弟子になると毒麦は活動することができない。イエスさまの満ちみちた身丈にまで成長しなければならない。光が来ると暗闇は消え去る。
(マタイ28:18~20)イエスさま最後の命令は、弟子を作りなさいということ。御言葉を守り行う、イエスさまに命を捧げる人、御言葉が人格に溶け込んでいる人。

「神様が教会に置いた目的は何?」と聞かれたC.S.ルイスはこう答えた。
「教会に人を導いて小さなイエスキリストを作ることだ。」

どんな苦難と試練が来ても本当の弟子になる。人が十字架を背負うとXの形になり、何十倍、何百倍の実を結ぶ。聖書の勉強をし、御言葉を学ぼうとすると聖霊が働いてくださる。

信仰を持っていけば必ず神の栄光を見る日が来る。

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